TwainとCooverとErickson

 3週間後にエリクソンのOur Ecstatic Daysを中心とした発表の司会がある。エリクソンは難解な作家でしかもこの新作は翻訳がないので、少しづつ原著を読み進めている。ロサンゼルスに突如出現した湖から息子を守ろうとする母親の黙示録的なSF。タイポグラフィーも駆使したスタイリッシュなエリクソン文学は詩と散文のアマルガムのようでもある。ロスというトポスがどのような役割を果たすのか。
 10月のはじめに函館で開かれる英文学会の北海道支部大会ではM・トウェインのThe Prince and the Pauper(『王子と乞食』)の発表の司会。舞台となる16世紀イギリスの貨幣価値というフィクションの分析を通して身分制度や人間の価値を考察するとレジュメにはある。少しトウェイン研究史について勉強しなくては。
 10月の体育の日には秋田でアメリカ文学会の全国大会。ここではロバート・クーヴァーのThe Public Burning(『公開処刑』)とTim O'brienの作品に関する2本の発表の司会。クーヴァーの作品はこれも翻訳がない。1950年代の冷戦下における反共ヒステリーの時代。副大統領のニクソンが戯画化された登場人物です。主人公としては原爆スパイの罪で処刑されたローゼンバーグ夫妻。これもクーヴァーに詳しい越川さんの論文が図書館にあったのでコピーして読みました。
 自分の専門とは言えない代理かピンチ・ヒッターのような司会の依頼だが、自分の勉強になると考え引き受ける。でも夏休みの大半はその準備に追われそう。