人の世話になる事

 昨日昼時に大丸デパートに行った時のエレべータでの出来事。乳母車を押していた若い女性がエレベータの奥から出る時にドアを開けておいてもらう事、他の人を待たす事を当然のように何もお礼も言わず出て行った。その時に中年の男性が「当然のように出て行ったな」と連れの人に行ったのが離れていた僕にも聞こえた。僕も同じように感じていた。
 乳母車を引いている母親に親切にするのは当然なのだが、その母親が親切にされて当然と考えるのは違う。または当然と考えても、少なくとも軽く周りの人に会釈をするとか、お礼の言葉を言って行くのが、大人の振舞だ。あの若いお母さんは大人ではなかった。そのような大人でない人が子供を大人に育てる事ができるか心配です。
 その直後、車いすにのった男性が「すみません、お世話になります」と言って乗ってきた。エレベータは3機あって車いす・乳母車優先のもあったので、それに乗らない事も謝っていた。適切なお礼の表現は必要だし、聞いていても心地よいが、過剰な謝罪の言葉は少々聞きづらいなと思ってしまった。
 その老人は僕の入った鰻屋さんにも偶然来てやはり多めの?謝罪の言葉を発して出ていった。その男性は実際に面倒をかけてすまないと思っているのだろう。または謝罪やお礼の言葉がそれを言わないよりもずっと役に立つ事も経験的に知っているのかも知れない。自分なりの処世術。Mの鰻はまあまあ美味しかったが、人のお世話になる事、適切なお礼と謝罪のあり方を考えた。