始めが肝心

 あっと言う間に3月下旬で、後3週間ほどで新年度の授業が始まる。例によって初めて担当する科目のプリント作りが停滞している。英語のテキストをあちこちからパッチワークして用意しているが、例えばGreat Gatsbyの冒頭を英語で読んで、後は翻訳と映画。そしてそのあとに内容について議論をしようと考えている。もう1作はCatcher in the Rye。つまり20世紀の代表的なアメリカの小説に原典で触れてほしいというのが狙いの一つ。
 で、再読するとやはり面白い小説は書き出しも面白い。出だしだけ面白くて、読み進めていくとトーン・ダウンする場合もあるけれど。『ギャッツビー』は脇役のニックが語り手として自分の常識的な人生観を語る。語り手としてはバランスのとれた、視点のぶれない人物が望ましい。だからこそギャッツビーやディジーやブキャナンといったいささかエクセントリックな人物の言動を描写できるというものだ。
 『ライ麦畑』は主人公のホールデンが自伝という伝統的なスタイルをバカにするという、いかにもな若者の背伸びした語りで始まる。この若者の切なさ、刹那的な世界観が世の若者を引き付けてきたのだろう。僕はもう若者でないので、このような独りよがりの語りに、苦笑いをしながら接しているけれど。