彷徨える教養教育

 今年度は28歳の時(1980年)に教養部講師になってから28年目でした。ちょうど着任した年と同じ年月を大学教員として生きてきた事になります。僕に教えられてきた学生は可哀そうな気もする。で、定年の68歳まで後11年。人生ってほんとにあっと言う間ですね。なぜか30代の時が鮮明に思い出される。
 大学を卒業してそのまま大学院に入り、修士課程2年を4年?かけて終了。1年おいて北海学園大学に就職。32歳で初めてアメリカとイギリス、フランスに2ヶ月ほど行って来ました。そして35歳にして喘息になり、同年父が74歳で亡くなる。37歳でカナダの提携校に交換教授として行ってきました。42歳でで母を送り、その2年後に44歳で結婚、すぐにフィラデルフィアとロンドンに1年の在外研修。帰ってみると教養部改組(実質解体)が進んでいて、翌1998年人文学部に分属。後から教養部を残した大学、さらには教養学部に前進的に改革した大学もあった事を知った。例によって文部省の方針変更があったりしたので、時代や権力の影響を受けつつもきちんと大学の方針決めて行くべきであったなと反省もしました。
 実は大学内部でも学部が学生の4年間(最後の1年は就職活動に時間が割かれる)のうち最初の2年を教養部に取られているいる事に強い不満を持っていました。専門教育と教養教育の有機的な融合ではなく、対立という潜在的な要素が、文部省による教養教育のしばりをはずす方針で、顕在化していった訳です。また教養部自身も学部や学生に対し、教養を学ぶ事の意義を説得するようなカリキュラムを提示できなかった事も事実です。
 さて3年間の人文学部在籍の後に、前項で述べた理由で2001年に経済学部に所属。その年にコロンビア大学で客員研究員として滞在していた時に、9・11に出くわした。この事件の原因の一つがアメリカと言う国がやってきた所業にあり、それは建国の時から続くものでもあると考えて、その後のアメリカ研究について少なからぬ影響を受けました。
 写真はその時に訪れたCape Cod(鱈岬)のハイアニスの写真です。ケネディ一族の別荘のある高級保養地できれいなヨット・ハーバーもありました。