繰り返すリズム
ヒューストン・ベイカー・ジュニァは『モダニズムとハーレム・ルネッサンス』の中でアミリ・バラカ(元ルロイ・ジョーンズ)の「同じでありながら変化していく」を黒人の音楽的伝統と個人的才能の間の相互作用の説明として引用している。「伝統と個人的才能」はェリオットの有名なエッセイのタイトルだが、前者の方は『ブラック・ミュージック』(ルロイ・ジョーンズ)の「変わってゆく同じもの」という章のタイトル。
この「同じでありながら変化していく」が長い間よく分からなかったファンクとういう黒人音楽の中でもっとも分かりずらいジャンルの理解に役立ちそうな気がしていた。ファンクって60年代の後半のスライ&ファミリー・ストーンのソウル、ジャズ、ロックなどをスクランブルさせた雑種音楽で、代表作に『スタンド』,『暴動』がある。記録映画『ウッドストック』でけばけばしい衣装のスライ・ストーンが「ハイヤー」を演奏しながらキーボードの前で観衆を煽るシーンを覚えているかも知れない。
70年代にはパーラメントやジョージ・クリントンのファンカデリックが登場するが、一般的な音楽ファンにはクール&ギャングやオハイオ・プレーヤーズの名前の方がファンク・バンドとして知られているだろうか。このようなファンクの起源をジェームズ・ブラウンに求める鈴木岳章(リズム・ネーション)はベースによるパルス、メロディー楽器やボーカルによるメロディの消失とリフの反復と言う特徴を指摘している。
また「起源もなければ、未来もない。他のブラック・ミュージックと違い、完成を目指して前進する歴史・物語とは無縁のもの。そこにやってきてファンクの空間を作り出す」というようなジョージ・クリントンの訳の分からないようでいて本質をついたインタビューもある。さらにファンクとはファンキー・ジャズと言うジャンルでも知られているようにもともと黒人の体臭、匂いを指す白人の軽蔑的な表現を逆手に取った言葉で、浸透し広がっていくものでもある。他者をを排除しないで自らを外部に開いて行きながら、すべてを呑み込み様々な音楽ジャンルと融合する。
ファンクの浮遊するパルスの中での、リフの繰り返し。しかも少しづつ変奏しながらの反復は、持続する事によってある種のグルーブを生み出す。それはファンクの大きな特徴だけれど、『オン・ザ・コーナー』におけるマイルスのトランペットのバックに流れるポリリズム、『クロニック』におけるGファンクというキーボードのリフをバックにしての独特のルースなDr.ドレのラップを聞くと、ブラック・ミュージック全体にも共通するものでもあるような気がする。
写真はスライの『暴動』(リミックス版)