繁栄の50年代の裏側

 60年代にカウンター・カルチャーという形でアメリカの物質文明に異議申し立てをしたはずなのに、アメリカの資本主義経済は無限に経済的豊かさを供給し続ける事でアメリカン・ドリームを実現する。だとしたら経済的豊かさの前半部「経済的」を「文化的」に変える事はできないだろうか。
 実は繁栄を謳歌したはずの50年代に既にそのような豊かさと家族や制度の間の軋みは出ていた事がいまでは周知の事実である。12月13日に紹介した『エデンよりも彼方に』と同様、郊外の中流カップルの理想と破綻を描いた『レボリューショナリー・ロード』もそう。
 1960年代にリチャード・イエーツが書いた作品が原作だ。監督はイギリスのサム・メンデス。郊外を描いた重要な作品『アメリカン・ビューティ』の監督でもある。異邦人の辛辣な視点でアメリカの郊外生活者(サバービア)を描く。しかし未見の『レボリューショナリー・ロード』はともかく『アメリカン・ビューティ』は郊外を考えたり、教えたりするには絶好のテキストだといえる。
 『レボリューショナリー・ロード』に登場する郊外に生きる若い中流階級の白人カップルの煩悶なんてもういいよって思ってしまう。演劇に夢中になる奥さんの話なら、ジョン・チーバーの「妻がヌードになる時」の下世話なユーモアになりかねないギリギリのところで踏みとどまる短編の方が面白い。
 『テルマ&ルイーズ』で効果的に使われていたマリアンヌ・フェイスフルの「ルーシー・ジョーダンのバラード」(『ブロークン・イングリッシュ』所収)も郊外の生活の物質的に満たされた30代の主婦が精神に異常を来す話。『めぐりあう時間たち』のローラ・ブラウンは狂気に陥らないために夫と子供を捨てた。そんな50年代、郊外、豊かに見える生活の息苦しさって何だろう。