柴田さんとサリンジャー

 昨日の朝日新聞柴田元幸さんがサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』の新訳を出す話が載っていた。柴田さんは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を出した村上春樹の英語の師匠(チェッカー)でもある、アメリカ文学の翻訳に関する第一人者だ。

 札幌に講演で見えた時は、アメリカ文学関係者と夕食をした。奥様を同行した柴田さんは中年の妖精のような雰囲気の人だった。つまり小柄で痩身の、どこか少年の面影を残した飄々とした文学者だった。その後別な委員会でご一緒した時は、突然英語で話しだしたりもする、鋭くも的確なコメントをする気鋭の研究者だった。

 さて『ナイン・ストーリーズ』はグラス家の長男シーモアが自殺する「バナナフィッシュに最良の日」で有名だが、映画とジャズのファンとしては、「コネチカットウイグルおじさん」に注目したい。この作品はグラス家の三男ウオルトを昔の恋人とするエロイーズの物語だ。訪ねてきた友人とハイボールで酔いながら、彼女たちは若い頃を思い出す。

 それが映画ではエロイーズの娘はウオルトとの間にできた子で、それを隠すために友人の恋人と結婚する話に変わってしまう。しかも夫はエロイーズと離婚して昔の恋人と再婚するという。エロイーズは夫が娘を無理やり引き取ろうとするのをなんとか阻止し、娘を抱きしめながら、昔の思いにふける、というあまり紹介しても意味のない内容だ。

 だがその映画『愚かなり我が心』のヴィクター・ヤングによる主題歌がMy Foolish Heartだと知ると事情が変わる。ビル・エバンスの『ワルツ・フォー・デビー』の冒頭で流れるMy Foolish Heartの美しいテーマと演奏を聞くと、陳腐な映画をはさんで、サリンジャーとジャズがつながる偶然に少し驚く。
 写真は『ワルツ・フォー・デビー』を含む4作をリバーサイドでレコーディングした後、25歳で交通事故死した天才ベーシストのスコット・ラファロ