今度は『越境』

 アメリカの作家コーマック・マッカシーの「国境三部作」について書きたいと考えている。

 きっかけは映画で『すべての美しい馬』(2000年)がよかった事だった。ビリー・ボブ・ソーントンの監督も主演のマット・デイモンも悪くなかった。というのは好きな俳優だが、ジョン・グレイディはもっと単純で直情径行なキャラクターであることが後から分かった。

 原作の『すべての美しい馬』(1993)は、『越境』(1994)そして『平原の町』(1998)へと続き「国境三部作」となる。しかし時代設定は、『越境』が1940〜44年、『すべての美しい馬』が1949〜50年(1993)、そして『平原の町』が1952年。
難易度は『平原の町』〜『すべての美しい馬』〜『越境』の順。

 それで三部作を読み直す時に、『平原の町』〜『すべての美しい馬』と読み進んできて、『越境』の手前で同じマッカシーのハードボイルド・タッチの犯罪小説で読みやすい『血と暴力の国』(映画化でアカデミー賞をとったNo Country for Old Man)で一息(?)ついて、『越境』にたどりつく。

 しかし繰り返し読んでいくうちに『越境』が一番面白いと思うようになってしまった。主人公のビリー・パーハムの「ブラザーズ・キーパー」的なキャラクターが興味深い。『越境』では弟を、『平原の町』ではひたすら破滅に向かって突っ走るジョン・グレイディの面倒を見る。「ブラザーズ・キーパー」は聖書的なキャラクターである。

 「ブラザーズ・キーパー」への最初の関心はジェームズ・ジョイスの弟のスタニスラスの書いた『兄の番人』に始まる。天才を兄弟とした凡人が被る大変な面倒を愚痴を言いながらもみてしまう。ゴッホの弟のテオの事もついでに連想してしまう。

 越境からつい逸脱してしまったが、マッカシーの「国境三部作」の中でも、『越境』がなぜ優れているかについてはまた機会をみて。

『越境』が手元にないという話もしなければ。最初に買った英語版が落丁本で買い直しました。翻訳はエア・カナダに置き忘れ、ネットでは1万2千円もします。