二人のマキ

1975年頃にファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリースしたばかりの、カルメン・マキを札幌で見ました。コンサートの後、エルフィン(ランド)で飲んでいると、マキさんたちがやってきて、シャツの背中にサインをしてもらいました。振り向いてキスをしたような。記憶は勝手にでっち上げるものですが。
マキが紅白にも出た「時には母のない子のように」(1969年)よりも、ジャニスに影響を受けた金属的というか硬質のロック・ボーカルがとてもよかったです。ジャニスやツェッペリンロバート・プラント(男性ですが)に通じるものがあります。エルフィンでもマキの「私は風」がしょっちゅうかかっていました。
さて僕とほぼ同い年のカルメン・マキに対して10歳くらい年上の浅川マキの方は、1970年前後からシングルの「夜が明けたら/かもめ」や「ちっちゃな時から/ふしあわせという名の猫」など、ロックやフォークでもない、マキ風のつぶやきブルースの世界が異彩を放っていました。特に『MAKI II』(1971年)に入っていた「朝日のあたる家」が、アニマルズの演奏で知っていた曲とは別な曲の様で、これはまだ理解するには若すぎた?
最近ちあきなおみの「朝日楼」をyoutubeで聞くと、これはこれで一つの世界なのだが、やはりオリジナル(かな)の浅川マキの方がいいです。ちあきなおみの歌唱力については定評がありますが、少し演技的・演歌的で、もうちょっとさりげないマキさんの方が好みです。特に年を取って来るとさりげないのがいい。力みやパワーもいいけど、そっとつぶやくように、本当の事を言ってくれるとこちらの胸にすっとはいってきます。