5年分を1週間で

ブレイキング・バッド』の5シリーズ+ファイナル、5年半分の放送を収録したDVD24枚を先週の金曜から翌週の木曜までかけて、ついに見てしまいました。今のテレビのDVDレコーダーが故障中なので、仕事部屋のPC(20インチ)で、家内の非難を受けながら見続けて、そして言いづらいけれど研究室でも。でもアメリカ文化研究の一環と考えられなくもないし。
 主人公のウォルターの麻薬の密造・密売は、家族にお金を残すためではあったけれど、途中からは自分の才能に目覚めた。高校の化学教師で、洗車場でバイトもする状況なので、脳性麻痺の長男とこれから生まれてくる子供のためにも、それなりのお金を残したいという気持ちはだれでも理解できる。しかしその手段が問題。ただ大学時代の友人と立ち上げた会社から追い出されて、その会社は発展して昔の友人夫婦は大金持ちになっている点も主人公のルサンチマンになっていたんですね。不本意な人生をリセットしたい。優秀な科学者だった能力を予想以上に悪の道で生かすことができ、そこにがんで亡くなるまでの家族のための資金稼ぎという以上の動機が発生したのですが。
 もう一つ大きい見方として、ウォルター=アメリカ、そして家族=世界という構造でもとらえる事ができそうですが、無理かな。家族のための金儲けが金儲けそのものが目的となってしまう。その金儲けが失敗に終わっていた化学者としてのキャリアを犯罪によって能力を発揮する事によって回復し、さらにその過程で悪の帝王(英語で”Criminal King”とも言っていました)になってしまう。面白いというか、奇妙なのは最後の直前まで「家族のため」というお題目を捨てない。その事によって妻や息子、義理の妹からがんが再発して早く死ねばいいとまで言われるのに。つまり家族のためから出発したけれど、埋もれていた能力による成果が予想以上に大きくて、そこに生きがいを見出す。そしてその2つを無理やり維持しようとした結果、両方とも駄目になってしまうと言う事のようです。