言論の自由と抑制

昨年末に有名な俳優が亡くなった時に、僕がその映画評を信頼して読んでいるある映画評論家が追悼文の依頼を断ったいきさつを映画雑誌に書いていました。それはその俳優のある時期の映画がピークだと評価するので断ったという事でした。また映画にも詳しい別の作家が別の言い方で同じような事を言っていました。
 これはジャーナリズムとそれを支持する人たちが、みんな一斉に同じ方向を向いて、別な意見を言うのを封じ込めてしまう現象を柔らかく批判した事例ですが。このようにみんな一斉に同じ方向を向いてしまうのは極めて日本的なものだと思っていました。しかし、12月からテロについてのフランスやヨーロッパの言論をみても似たような反応をするんですね。そう言えば、9.11以後のニューヨークでも星条旗が氾濫していました。いつもはのんびりとクラシックの室内楽を聞いていたメトロポリタン美術館の土曜日の無料コンサートでも、最後の曲は「ゴッド・ブレス・アメリカ」を弾いていて、一緒に立ちあがって唱和しないと非難されるような雰囲気には違和感を覚えました。
賞賛にしろ怒りにしろ、皆が一斉に同じ方向を向くのは、ある種の集団ヒステリーで、そんな時に天邪鬼ではなく、できれば冷静に自分の意見を持ちたい。でもそれを表明するのは差し控えつつ、人の意見に素直に耳を傾けたい。それに賛成するかどうかは別として。