北大映研出身の映画評論家

北大時代に幾つものクラブ・部に入りましたが、何一つものになりませんでした。最初は邦楽研究会。これは1年先に現役で入学していた高校の同級生が入っていたので。それと当時のジャズと尺八のフュージョンとも言える山本邦山の『銀界』(1970)に憧れたのかも。僕はすぐ落ちこぼれたけれど、一緒に入部したN君(やはり西高)は尺八に執りつかれて尺八工房を作るに至っています。次はデザイン研究会。これは殆ど記憶がない。その次はフランス語研究会。第2外国語がフランス語で仏文があったら英文科よりも入りたかった。当時は英文学よりもフランス文学の方が前衛的で知的カッコウ良かった。前にも書きましたが、そして今では好きですが、イギリス文学と言うのはどちらかというと大人の文学で、よく言えば落ち着いている。悪く言えば、爺むさい?のかな。さてフランス語研究会では何故か最終的に会長になっていました。前にも書きましたが日仏会館フランス学長にもなったオギュスタン・ベルク先生がフランス語の教師として北大にいたので、構内の校宅に皆でお邪魔した記憶があります。
もう一つ入ったような記憶があるのが、映研(映画研究会)。時期は違うけれど札幌のミニ・シアターの草分けのNJさんも北大の映研の出身。実は先日亡くなった映画評論家の品田雄吉さんが戦後まもなくに作られた北大映画研究会の創設メンバーの一人だった事は最近知りました。北海道出身とは知っていましたが、北大出身で、しかも映研創設者の一人だったとは。
入ろうとして入らなかったのはフォークソング研究会。これは友達と部室というか活動をのぞきにいきました。今でもそうかも知れませんが、女子の少なかった北大と、男子のいない藤女子大とで合同の部がありました。そう言えば邦楽研究会にも藤の学生がいましたね。藤の女子を女性ボーカルに入れてグループを作る事もよくあったんでしょう。同世代というか同い年の中島みゆきはそのようなクラブに入らずに自分で活動していたんでしょうね。当時少し有名になっていた彼女を大通りの地下鉄で見かけた事がありました。