ミネット・ウォルターズの『遮断地区』

昨日読んだミネット・ウォルターズの『遮断地区』(創元推理文庫、2月発刊)がとても面白かったのでご紹介。ウォルターズについては女性作家の残酷で重たいミステリーは苦手なのでずっと読まず嫌いできたのですが、ほぼ1年前から読み始めました。調べてみると(そんな必要もないのですが)2012年2月12日のブログでも書いてありました。
『女彫刻家』、『病める狐』どれも面白いけれど、重くて暗い。ところが今回とても面白かった『遮断地区』で作風が変わったかというと、発表は『病める狐』(2002)の前年なのでこの『遮断地区』だけ違う書き方だったのかもしれない。でも、人種差別、性差別、階級差などの社会問題を扱っている点では共通しています。小説の展開の仕方が違うのかも知れない。
舞台はイギリスの郊外の団地。住民の教育レベル、収入が低いので、ドラッグや喧嘩は日常茶飯事のよう。1950年代労働党の理想主義の置き土産だったのだろうか、ハウジング・プロジェクトがイギリスのあちこちに作られたらしい。ハウジング・プロジェクトという名前からアメリカの大都市の低所得者用公営集合住宅を連想しますね。ニューヨークのゲットーとかインナー・シティと呼ばれている貧困層の居住地とそっくりです。
さてバシンデール団地という名前の看板から直す予算もなくなりBassindaleのスペルの一部が消えて”assid”になり”、それにペンキの落書きによるrow”が付け加えられたことにより、”Acid Row”(原題です)となってしまいます。まさにドラッグが蔓延する一角です。
 因みにまた英語のお勉強になりますが、"row"というのはご存じのように「列」、「町並み、通り」です。"front row"は「最前列」、"Savile Row"は「背広」の語源になったとも言われるロンドンにある一流の紳士服の仕立屋が立ち並ぶサビル通り。「背広」は"civil"、軍服に対して民間人の服という説もあります。もちょっと怖い?例では"death row”。これは死刑を宣告された囚人の独房棟です。「デス・ロウ」ってヒップホップのレーベルでもありました。
そのバシンデール団地に越してきた老人と息子が小児性愛者だという情報によって、シングル・マザーの親子は差別的ではあるけれど自分の子供の安全を心配してある程度真面目に排除のデモを計画します。しかし、それがただ騒ぎを大きくしたいだけの不良たちによって団地が封鎖され、火炎瓶が飛び交う事態に発展。小説のもう1本の柱は、少女が行く不明になり、別の小児性愛者が容疑者とされる事件が発生します。
 小説としては、2本の関連する柱、そして登場人物のリアルさ、そして誰が生き残り、誰が犠牲者となるかについてのサスペンスの作り方がうまい。人物のリアリティと言うのは、前述のシングル・マザーのように、母と娘の双方がシングル・マザーで、ちゃらんぽらんのようだけどそれなりに子供を育てているケースと、やはり少女を抱えて離婚をした若い母親の生きるため金はあるけれど如何わしい男と付き合う、あまり賢明とは言えない方法が対比的に描かれる。
 このシングル・マザーのメラニーの適当さと真摯さの混ぜ具合がリアルだと思う。また妊娠しているメラニー(白人)のお腹の子の父親が黒人青年ジミーで前科者。このジミーが負傷した女性警官をエレベータで発見する時のリアクションが共感を呼びます。前科もあるし厄介ごとには関わりたくない、でも見捨てていけない。この負傷者を助けるジミーを手助けする老婦人の心意気。決してヒーローとは言えない登場人物の、緊急時における気高い振る舞いが気持ちよく描かれます。