「細く赤い線」を哲学する

■生と死を分ける「細く赤い線」を哲学する
 伝説的監督で、20年振りの復帰で話題のテレンス・マリックの演出は、画面にかぶさる各兵士たちのモノローグを多用して哲学的・詩的な映像を作り出している。登場人物を多くすることにより物語を拡散させ、そこに個人の中の普遍的な戦争を描こうとしているのだろうか。
 兵士達の心には恐怖、狂気、故郷に残した妻、家族を犠牲にした出世欲、神の摂理や詩的想念が去来する。さら戦闘シーンも、ステディカムやクレーンを駆使した滑らかな移動撮影や、スコープの横長アングルを駆使して、迫力ある映像に仕立てている。スピルバーグの『プライベート・ライアン』が冒頭のノルマンディー上陸作戦の戦場オマハ・ビーチにおいて同様にリアルで迫力のある映像だったのに「ライアン一等兵救出」(原題)に物語が矮小化されてしまったのに対し、『シン・レッド・ライン』の特色は、戦場の中でそれぞれの兵士達が過去を回想したり自問自答し、このモノローグのなかで人生を考えながら進むところにある。この物語が登場人物の様々な想念により遮られる映画作りをよしとするかどうかでこの映画に対する評価は分かれるだろう。
隊を離れた落ちこぼれの兵士、現実主義的な曹長、出世の鬼のような上官、部下の生命をかばい上官の命令に従わない小隊長、祖国の妻を気にかける兵士、生と死の境目にあるそれぞれの兵士の思いとともに、まだ見ぬ恐ろしき日本軍との熾烈な戦いに臨む。激烈な戦闘の間に絶対的な存在として映し出される熱帯の大自然が兵士たちの死と対比される生を象徴している。生と死を分ける「細く赤い線」は戦場のいたる所と兵士たちの心中の両方にある。
 作者ジェームズ・ジョーンズは『地上より永遠に』で軍隊組織の非人間性を告発したが、同作の主人公でもあった兵士(プリ)ウィットを今度は真珠湾から南太平洋にあるソロモン諸島最大のガダルカナルに置く。そこは日米の激戦地のひとつで日本軍は1942年1月にソロモン諸島を占領、同年8月アメリカ軍がガダルカナル島に上陸し、ヘンダーソン飛行場をうばって日本軍の猛攻撃に応戦した。ジャングルでのはげしい戦いのすえ、43年の2月日本軍は2万余の戦死傷者を出して島から撤退した。