大学史

 昨年から再スタートした一般教育カリキュラムの「北海道学」分野に「大学史」がある。当初の目論見は「自校史」なのかなと思います。北海道における北海学園大学の歴史。しかし半期15回やるのなら日本の大学の歴史、ヨーロッパの大学誕生にまで話をさかのぼれば面白いと思う。
 実はこの「大学史」と「キャリア・ガイダンス」は担当者が決まっていない科目で、教務委員会の中の小委員会で決めてもらえばいいのだけれど、まだ僕が担当可能者を探して、交渉してきめています。昨年から今年は前学長にお願いしているのだけれど、今年いっぱいとくぎを刺されています。
 昨日今までのご挨拶に伺い、「大学史」の話をしました。すると北海学園大学の前身の北海英語学校(後に北海中学校、戦後の学制改革で現在の北海高等学校)の始まりの頃に、札幌農学校出身の人がいたり、南部忠平、本郷新は知っていたけれど、子母澤寛島木健作野呂栄太郎早坂文雄が北中(北海中学校)出身だった事を知りました。つまり北海学園大学の歴史が明治からの北海道の学校や文化史とつながって行くようで面白い。
 札幌農学校と言えば、明治期の北海道開拓の一環として開講され、マサチューセッツ農業大学学長のクラーク博士が教頭として赴任する。その開拓者精神とキリスト教の博愛主義の影響を受けた新渡戸稲造内村鑑三が輩出する。南北戦争の終る頃、連邦政府所有の土地を州に供与して農業・工業の州立大学ができ、マサチューセッツ農業大学もそのようなland-grant college(土地供与大学)の一つである。今ではアメリカ文学でも有名なアマースト校を抱えるマサチューセッツ(州立)大学です。この後もアメリカでは国立大学ができなかったけれど、明治期の日本は国家主義的な教育政策のもとに帝国大学を作り、札幌農学校は最初東北帝国大学の農業大学として明治40年に改祖されたと初めてしりました。北海道帝国大学大正7年に設立されたんですね。
 勤務校の大学史からじぶんの卒業した大学の歴史を知る事ができました。さてこれから、大学内の学部長経験者や名誉教授、同窓会の人など、担当候補者について進めなくてはなりません。