敗者の弁

 2週間のウィンブルドンが終わりました。いつもこの時期は二日酔いです。以前は寝不足と二日酔いでした。夜中に試合を中継で放送するので、見ていると見ながらつい飲んでしまうので、寝不足と二日酔いになります。でも最近は9時か10時に一度寝るので、合計して睡眠時間は足りるのですが、見ながら飲むと言う習慣は変えられません。
 全仏も悪くなかったけれど、やはり芝の緑は目に心地よいです。それと全仏の様にジョコビッチナダルの格闘技のようなパワー・テニスではなく、フェデラーに代表されるように技も駆使した本当のテニスの試合が楽しめるような気がします。
 昨日はフェデラーとマレーの決勝戦。大方の予想の様にフェデラーが勝ちました。マレーは数十年ぶりにイギリス選手として決勝に出ましたが、力尽きたようです。試合後の授賞式でのインタビュー―で、「一生懸命やっているのだけれど、勝つのは難しいんです」とか「確かにプレッシャーはありましたけれど、皆さんの声援は本当にうれしかった」とか涙ぐみながら語り、観客席でもうるうるしているファンもいました。
 僕もフェデラーを応援していましたが、マレーの敗者の弁には少し涙くみました。どうしてでしょうね。敗者にはドラマがあってそれに共感してしまうからなのでしょうか。
 それと今どきウィンブルドンくらいでしか見る事のできない、きびきびとした、礼儀正しいボール・ボーイ、ガールたちにも少し感動しました。