秋・東北・シンポジウム

 11月に盛岡で開催される東北支部(英文学会+アメリカ文学会)のシンポジウムに誘われというか自分で名乗って参加するというか、その発表タイトルと梗概の締切が7月のはじめなので、考えています。
 全体のテーマは「60年代のカウンター・カルチャーにおける文化表象」。
 で文学でいえば60年代はポストモダン小説が多かったけれど、カウンター・カルチャーと密接に関係するのはトム・ロビンスだろうか。ブローティガンがビートとヒッピーの間をつなぐ。カーヴァ―は生活に追われて文化的なムーブメントにはエンゲージできなかった。
 そんな事を考えつつ、東北学院の学生からヒップホップと言うかブラック・カルチャーをどんな風に勉強すればいいかアドバイスを求められたので、自分のHPの音楽頁を眺めていると、60年代とジャズの部分が使えそうだと気づく。どうだろうか。
 1998年から10年ほど本務校で「現代文化論」という科目名の「アメリカ文化論」をやっていたけれど、北星学園から「アメリカ文化」の授業を頼まれた時に、「ポストモダンアメリカ」という枠組みを考えてみた。そこではカウンター・カルチャーとポストモダンを重ね合わせて考えてみたのだけれど、それって当たり前なのか、新機軸なのか今でのよく分からない。その時考えた事を、自分のHPにジャズ論、ポストモダン・ジャズ論として書いてみた。ポストモダン・ジャズという考えは新しいと思う。少なくともきちんとそのような枠組みでは論じられえてはいない。『ジャズの明日へ?コンテンポラリー・ジャズの歴史』を書いた村井康司さんがそれに近いかな。その件で一度メールにやり取りをした記憶がある。さて、以下の考えがシンポで使えるかどうか。

 20世紀初頭に誕生したジャズは他の芸術ジャンルと違い40年代後半にビ・バップという形でモダニズムを迎える。そしてその20年後の60年代には、カウンター・カルチャーの時代に伴走するように、ポストモダン・ジャズともいえる段階に突入する。実はブラック・ミュージック自体がその始まりからずっと、白人の主流文化に対するカウンター・カルチャーであった。しかし、60年代カウンター・カルチャーが様々なマイノリティや若者を巻き込んでの戦後最大のムーブメントになると、ジャズはそのモダニティを先鋭化させ、ポストモダン・ジャズに変貌する。上記ポストモダンの特徴からポストモダン・ジャズを検証するならば、以下のように言えるだろうか。

 自由な折衷というポストモダンの代表的なコンセプトは、ある意味ではジャズそのもの特徴でもある。ジャズの発生がラグタイム、マーチング・バンド、ブルースの融合によるものであるから。60年代にはロックのイディオムを援用したいわゆるジャズ・ロックさらにフュ―ジョン/クロスオーバーを生み出す。言うまでもなく融合(フュ―ジョン)と交差(クロスオーヴァー)はポストモダンの重要なタームである。当初は新鮮で心地よいサウンドを生み出したこのジャンル横断現象は瞬く間に安易な快適さを目指し商業化していくが、音楽性の高い刺激にみちたフュ―ジョンはマイルス・スクールの出身者トニー・ウィリアムスのライフ・タイム、ウェイン・ショーターのウエザー・リポート、チック・コーリのリターン・トゥ・フォーエバーなどのグループで維持される。始まりと中間と終わりという閉じた物語を否定する円環的時間の表現をジャズに見ようとするならば、70年代のマイルスの演奏がその例だろうか。わずかな差異を反復しながらエンドレスに続くように思われるこの時代のマイルスは、ファンクのビートとグルーヴを取り入れた点でポストモダンパラダイムを体現する。遊戯的な引用の例としては80年代登場するジョン・ゾーンビル・ラズウェルが挙げられるだろう。また引用と折衷を表現するヒップホップ・ジャズのアルバムを準備中にマイルスが亡くなってしまい、ポストモダン・ジャズは一応の決着がつく