今度は『チャイナタウン』について

『オトン』の今月号の「映画、この一本」で『チャイナタウン』について書きました。本当は編集者がインタビューをして聞き書きをするらしいですが、時間もないので聞き書き風の原稿を書いて送りました。しかし研究者風?の書き方になったようで、もう少し分かりやすく書き直したらOKももらいました。
 また自分のHPの映画セクションにリンクを張りました。http://www.jin.hokkai-s-u.ac.jp/~honjo/otone40_kono1.pdfです。
去年の9月8日に「監督兼俳優」で悪徳実業家ノア・クロスを演じたジョン・ヒューストン監督について書いていました。マイケル・ケインの自伝でも『王になろうとした男』(1975年)、『勝利への脱出』(1981年)でふれた監督の人柄についてふれています。
またクリント・イーストウッドの『ホワイト・ハンター、ブラック・ハート』(1990年)は、『アフリカの女王』(1951年)での撮影エピソードから構想されています。撮影地での天候不順やスタッフの病気などで大変だったにもかかわらず、ヒューストン監督は好きなハンティングに興じて、『マルタの鷹』(1941年)、『黄金』(1948年)、『キー・ラーゴ』(1948年)などの盟友でもあるハンフリー・ボガートもその後一緒に映画を作っていないので、この時の大変さが骨身にしみたのかもしれません。共演のキャサリン・ヘップバーンも後年『アフリカの女王と私』という本を書いてこの時のヒューストン家督の身勝手さに一矢報いたそうです。
 映画撮影って大変なことも多いそうで、いろんな面白い話もあるんでしょうが、関連して思い出したのはテリー・ギリアム監督の『ロスト・イン・ラマンチャ』(2002年)。これは『ドン・キホーテを殺した男』の製作が、現場の騒音・洪水?そして主演俳優の病気などで製作不可能になった経緯を描いたドキュメンタリーです。これはとても興味深い記録ですね。