過剰さとモラル
多くの人が経験していると思いますが、外国のホテルに行くと部屋の照明が暗い。ほとんどが間接照明です。最近の日本のホテルの部屋もけっこう暗いです。でも一方自分たちの家の照明や、店舗の照明は過剰と言えるくらい明るい。というか明るすぎます。ここまで明るくする必要があるのかと言いたいくらい明るい。
この過剰な軽さには明らかに何か理由があると思言います。それは何だろうか、愚考しましたが分かりません。でも何とか理由を今書きながら考えています。谷崎潤一郎が書いた「陰影礼賛」にもあるように、空間を光で埋め尽くさないで、影の美しさ、ニュアンスを尊ぶ。この陰にはどんな意味があるのだろうか。中世ヨーロッパの森における闇と比較して考えると、森における自然を畏敬つつ征服して行こうとする傾向がある。しかし日本の場合は、自然の光と闇をそのまま室内の空間に取り入れようとする、自然と共生し調和しようとする意識なのではないかと思います。
それなのに現代の日本の家や店舗の過剰な明るさは、闇を徹底的に追放しようとしているような趣さえあります。でもこれってきっと1960年代以降、東京オリンピックに象徴される戦後の復興を成し遂げた後の、物資t文明を謳歌する流れの中で、謳歌からさらに過剰に享受するようになっていったと思います。この辺りから日本人のモラルも次第に崩れていったのかも知れません。
これも内田樹さんのブログにありましたが、日本人は明治維新や敗戦のような危機的状況では、倫理的で知的な行動をするが、それ以外ではどうも幼児的な思考に陥ると。確かに持ちなれないお金を得てしまった成金的な日本が80年代のバブルに象徴されますね。そうすると今回のような未曾有の災害においては、日本人は比較的倫理的に行動できるという事になります。これは被災者やボランティアについてはそうでしょうが、如何せんこの3,40年間の政治家や官僚の、そして専門家のレベルが落ちている事が復興の足を引っ張る事になりはしないかと不安です。というかその不安はかなり現実のものとなっているような。