ドライ論争

 マティーニに少しはまっています。ボッシュ・シリーズに出ていたダーティ・ウォッカマティーニを作ってみようとシェーカーも買った事はすでに報告済みですが、2,3回使った後、固く締めすぎたのか開きません。で、今はシェークは出来ないので軽くステア(混ぜる)だけにしています。
 ダーティの由来も説明しましたが、これはすでに自分でも知らないで実行していました。時々ベルモットがない時にジンやウオッカのロックにオリーブの漬け汁を入れてすごく野蛮なカクテルを飲んでいた訳です。また外ではマティーニを飲む時に気取って?ドライ・マティーニを注文して、こんなもんかなーと味気ない思いをした事も。今回ノイリー・プラットを味わって、チンザノより美味しく、結構愛用しています。
 ところでマティーニには薀蓄が多いと書きましたが、ネットにも沢山出ています。しかし僕が典拠にしているのは、山口瞳の『酒呑みの自己弁護』(新潮文庫、1979)です。さて『酒呑みの自己弁護』の中の「幻のマルチニ」と「ドライ・マルチニ論争」でマティーニについて語っています。でも思い出してみれば初めてマティーニについて読んだのは、イアン・フレミングの『ロシアより愛をこめて』でボンドが愛飲したウオッカマティーニだったような。これもシェークではなくステアして。
 さてマティーニもジン3:ベルモット1の割合を、ドライにする分、ベルモットの割合が減り、ドライエストとなると7:1となるそうです。ヘミングウェーの「川をわたって木立の中へ」のキャントウェル大佐は15:1の超ドライなマティーニを飲んでいたそう。またギャグの様だけど、ベルモットの瓶のコルクでグラスのふちを拭くとか、ベルモットの瓶をにらんでジンをストレートで飲むとか、ドライに対するこだわりが面白いです。ドライ=男らしいという神話があるような。