考えないための読書?

 日曜の読書欄に丸谷才一大江健三郎筒井康隆の鼎談が載っていました。その中の丸谷才一の発言だったと思いますが、大野晋の言葉を引用して、考えるためのスペースを取っておくために好きな読書もほどほどにしているという件があった。
 とても納得しました。というのは僕の読書のかなりの部分が考える事から逃げるためのものであると自覚しているからです。とりあえず目の前にある活字に縋り付いて、緊急に考えなければならない事を後回しにしています。
 しかも読書というそれなりに知的に見える活動は逃避行動や怠慢さの隠れ蓑にできてしまう。そろそろそんな忌避行動はやめて緊桔(これって内田さんの好きな表現です)の事柄に真面目に取り組まなければ。