ハリー・ボッシュのLA

 『何がサミーを走らせるのか?』の論考締め切りは1月半後の2月末です。12月のシンポジウムではサミーのキャラクター分析が主になってしまい、シンポジウムのテーマである場としてのLAがお留守になってしまった。論文では「空虚な都市LAとハリウッド」というような話にしようと思っていますが、マイケル・コナリーのハリー・ボッシュを読んでいると、トポスとしてLAが『サミー』よりも重要なのが分かります。犯罪捜査なので、容疑者が犯罪を隠すのに、住まいに近いグリフィス・パーク(あのアメリカ映画の父とよばれだD・W・グリフィスに因んで)よりも、エコー・パークにしたのは何故か、とか。最新作の『死角』では、犯罪現場がマルホランド・ダム(LAに水を運んだウオーター・ツァーと呼ばれたマルホランドに因んで)の展望台なので、ダイアモンド・バー市に住むハリーのパートナーが来るのに1時間ほどかかるとか。ハリー自身はウッドロー・ウイルソン・ドライブの上がったところにあまり綺麗とは言えないが夜景の素晴らしい場所に住んでいるとか。
 1990年に出版されてすでにLA論の古典と目されるマイク・デイヴィスの『要塞都市LA』にも「ロサンゼルス上空を夜飛行機で飛ぶのは最高だ。この地獄の効果に比肩するのは、ヒエロニムス・ボッシュの地獄絵だろう」という引用がある。残念ながら『要塞都市LA』においてハリー・ボッシュへの言及はないが、マイケル・コナリーが地獄都市LAを駆け巡る刑事をヒエロニムス・ボッシュと名付けたのは、この二人の作家がポストモダン都市LAを似たような視点で眺めている事を証明していると言ってもいいだろう。この辺りずいぶんと慎重な表現ですが。
 写真でヒエロニムス・ボッシュを載せるのは少しえぐいので、マイケル・コナリーのミッキー・ハラーもの『リンカーン弁護士』のペーパーのジャケットを選びました。映画化主演はマシュー・コナヒーです。タイトルは自前の事務所を持たず、リンカーンに乗りながらノート・パソコンと携帯電話を駆使し、法廷を駆け巡るという設定からきています。コナリー原作の映画としては、プロファイラーのマッケイブを主人公とした『わが心臓の痛み』がイーストウッドで主演されています。残念ながらハリー・ボッシュはまだ映画化されていませんが、原作者はハリーにスティーブ・マックイーンが好いだろうと言っているようです。僕は若い頃のミッキー・ロークだと破滅的なキャラクターが合っているのではと密かに?思っていますが。