「走り続ける事」へのオブセッション

12月18日に北星で開催する北海道支部支部大会でLA文学に関するシンポをします。そこで自分が担当する発表の要旨をでっちあげてみました。それをこの1か月間で少しはちゃんとしたものにしないと。

Frantic Marathoner and What Makes Sammy Run?

1941年に発表されたWhat Makes Sammy Run? では、ニューヨークの新聞社の給仕からハリウッドの脚本家・製作者に出世する主人公サミー・グリックの人を踏み台にするそのエゴイスト振りがリアルにまた戯画的に誇張して描かれる。その”hero-villain-victim”としてのキャラクターは、サミーがピカロ的な主人公であり、また”frantic marathoner”として運命づけられた犠牲者でもある事を表している。
作者のBud Shulbergは、パラマウント映画の撮影所長兼製作部長の息子として、文字通りハリウッドで育った。しかしシュルバーグが『何がサミーを走らせるのか?』において、その熟知しているハリウッドの内部を小説に描いた時に、彼はハリウッドから裏切り者と断罪される事になった。だがこの作品でシュルバーグが書こうとしたのは単なる内幕ものなどではなく、他のハリウッドのtycoonのようにユダヤの伝統からの脱出をはかる少年のオブセッションであり、現代のホレイショー・アルジャーによるアメリカの夢の実現とその蹉跌の物語でもあった。今回の発表では、その原型となった2編の短編をサブテクストとしつつ、『何がサミーを走らせるのか?』におけるサミーの「走り続ける事」へのオブセッションの意味と構造を分析する。