牧歌と観光

 ずっと勉強から遠ざかった日々が続いているけれど、ワークショップが1週間後に控えていて、少しお尻に火が付きました。
 司会の挙げてくれた参考文献John F. Searsの"Sacred Places:American Tourist Attractions in the Nineteenth Century" (U. of Massachusetts Pr.)の関係部分を読んでいます。第1章が「ナイアガラ」で、ナイアガラを宗教的な神殿と見立ててそこを訪れる観光客を「巡礼」としているところが興味深い。つまり19世紀の初頭から半ばあたりまでに産業としての観光が成立し、ナイアガラに新婚旅行に出かけたり、世俗的な聖地として機能していたという事ですね。
 また自然を愛でる田園主義を牧歌という詩形式で表現する伝統がウエルギリウスからシェークスピアワーズワースへと続いているが19世紀のアメリカでは、ソローやホーソーンが楽園に出現した汽車という機械文明の象徴に不快感を表明し、しかし同時に自然と人工という矛盾を何とか調和・妥協しようとする「ハドソン・リバー」派の第2世代の画家たちも出現する。
 牧歌と言えば、W・エンプソンの『牧歌の諸変奏』だがこれは意外に牧歌そのものを勉強するには不向きで、ピーター・マリネリの『牧歌』(研究社、文化批評ゼミナール15)が便利です。同僚に貸してもらったのですが、自分でも買おうとしてアマゾンで調べると、36年前600円ででたものが5,000円以上するのであきらめました。
 もう一つは城戸光世さんの「歴史化される風景――ホーソーンの場所の感覚」(『新しい風景のアメリカ』所収、南雲堂)が参考になりました。そこでは19世紀半ばすでに観光地化された瀑布がホーソーンによってアイロニックに描かれている点が指摘されています。観光に対するメタ的な視点がもう出現していたんですね。