援助交際は(なぜ)悪いか?!

 学生が「自分は悪いと思うが、何故悪いのかという友達に説明ができない」ので、何故悪いのか理由を教えてほしいと言う。
 うーん、そういう質問って嫌いじゃない。何か「それって悪いに決まってるしょ」という紋切り型の切り返しではなく、一見自明の理に見える事の原理的な説明を教師としてはしたいと考えている。
 実は内田樹さんの本に答えがあったのだが、生憎その内容を忘れていた。それで自分で考えて回答しました。
 先ず援助交際をする女子高校生は自分の勝手だ、自分が自分の体をどう使おうと人にどうこう言われる筋合いはない、誰にも迷惑をかけていない、とこれも紋切り型の理屈を言う。確かに人を使ってどうこうする、いわゆるひもとはちがう。
 先ず「誰にも迷惑をかけていないか」?社会は有形無形の利害や人間関係のネットワークでできているから、その事が露見した時点で、未成年の保護者は迷惑をかけられています。いわく監督不行き届き、何々さんの家ではいったいどんなしつけをしているのだろうか、などと。
 でももっと重要なのは、本人は将来その行為の付けをどう受け取るかという事への想像力が全く欠けている点だ。普通の人間なら、未来の自分はその事で決定的なダメージを受ける。援助交際が悪いと思わないと未来の自分が考えるなら、自分の伴侶にその事を言えるだろうか。
 言えるとしたら、その時点でその人はモラルの点からこのような議論の対象にならない。言えない自分を想像できたのなら、現在の自分の勝手という意見は説得力を失う。せつな的に生きているように見えても、普通の人はこれをしたら将来どうなるという事をそれなりに視野入れつつ行動していると思います。
 つまり援助交際をするような娘にも、現在の自分とつながってる未来の自分のためという視点なら理解できるかな。
 学生は一応納得して帰ったが、自分としてはまあ、そんな回答もありかなという程度。
 で家に帰って『死と身体』を読み直しました。「自己決定」と「自分の体に敬意を払う」という部分です。内田さんによると、社会に対して誇りえるもの(リソース)を持たない女子高校生にとって自分の肉体が唯一好きなようにできる、支配できる所有物なのである。しかしその勝手に使用される自分の体は、その事を望んではいないですね。
 ここからはまた僕の意見ですが、体と心を分ける事が間違っている。よく言われた「体は売っても心は売らない」という娼婦の心意気を示す表現がある。でも「心は売っても、体は売らない」というレトリックは、体を心の支配下に位置づける事への異議申し立てではないだろうか。意識と肉体は二分法では分けられないものだと。
 体が傷つくと心も傷つくと思う。傷ついた体を意識しない心はない。また心が傷つくと体も思うように動かない。総合的にはモラル、自分の心と体の両方を大事する事、自分の身近な人間関係を配慮する点など、このどれかで説得できるかな。