Bartlebyの残響
昨日は人文学部の研究会「北海学園人文学会」の第2回研究例会があり、主催者・司会として参加。幸い20名ほど集まり、発表者の手塚先生の話も面白く、パワー・ポイントの使い方も参考になった。夕方は発表者の慰労兼忘年会。
さて標題の件は、講演の報告を司会者に書いてもらい、その内容や表記についていろいろと考えさせられ、Bartlebyが頭からなかなか離れない。
Bartlebyの労働拒否の理由の一つが最後に解き明かされるDead Letter(行き先不明の手紙)の係をワシントンでしていたという噂だった。繊細な神経の若者が、行き先不明の手紙の背後にある、実現しなかった愛や希望、届けられなかった小切手や指輪に心痛め、その不幸な物語を自分のものとして引き受けるうちに、自身も病んでいったとも考えられる。
それとこれは編集的な事柄なのだけれど、人の原稿をHPにアップする時に事務局として訂正をしなければならない事があります。この作品を中編と書いていたら、短編に直す。『書記バートルビー』は「書記バートルビー」にする。実は研究社の『英米文学辞典』の原題名がイタリックスになっていました。日本語のウイキペディアには結構お世話になっていますが、このような表記はについては杜撰でした。遺作のBilly Buddは中編(novella)とされ、表記は長編と同じ扱いです。