伊坂ワールドとヒット・アンド・ラン

伊坂幸太郎の『ゴールデン・スランバー』は面白く読みましたが、その後は他に読む本もなくなって(失礼)ずっと積んであった『オーデュボンの祈り』読み始めたら、けっこうおもしろかった。ただその感想をまとめずらくて、伊坂作品を文庫を17冊読んでしまいました。授業のない時期とは言え、面白かったからです。そして10数冊も読めば、いわゆる伊坂ワールドについておぼろげながら見えてくるものがあります。

 2010年2月21日のブログ「アオヤギ君と逃走論」で『ゴールデン・スランバー』について書いていますが、今回伊坂幸太郎の他の作品を読んで、やはり通奏低音は「ヒット・アンド・ラン」というか「逃走論」のような気がしました。一人の作家は基本的なテーマをきっと生涯書き続けて行くのだと思います。それをいろんな設定や舞台化、キャラクターで変奏していく。
 文学っていうのは、「人生とは何か」、「人として生きると言うのは」というテーマを哲学とは異なる、物語として描くものですが、エンターテインメントとしてこのような深遠なテーマを扱うのは珍しい。というか純文学と娯楽の境目を取り払った、ついでにミステリーとSFなどのジャンルを超える作家ではないだろうか。この辺の点についてはすでに多くの人が指摘済みであるとこは承知していますが。
そして「人生とは何か」、「人として生きると言うのは」というテーマを描くには、現実のいまのこの世界を見つめる事から始まるとすると、9.11や3.11など、テロリズムや災害などが暴力や自然の猛威として突然普通の人たちの生を断ち切る事件や現象について考えざるを得ない。のんびりといつかやってくる終わりを待つのではなく、必ずやってくる死とセットにして生を考えざるを得ない世界。そしてネット上の情報が氾濫しつつ、コミュニケション不在の社会。様々な電子装置によって国民を監視し、支配する国家。欲望や暴力が国境を横断して襲いかかってくる世界。  
そのような国家や制度に対して、批判や不満を持つ主人公は、ささかやかな正義感や勇気をもって、蟷螂の斧と自覚しつつ一矢報いようとします。そして負けた後も、矢折れて倒れるのではなくて逃走するんですね。ここが現実的な戦略として腑に落ちて、そして面白い。