エルモア・レナードと曖昧な主人公

エルモア・レナードという、昨年87才で亡くなった作家の全体的なイメージが掴みづらくて評言できなかった。物凄く巨大な作家の掴みづらさではなく、多彩な作家ならでは批評の難しさと言えるか。1974年に見た『マジェスティック』の原作がレナードだった事は後から知った。40年前、大学4年生だったか。チャールズ・ブロンソンが演じる西瓜農場主でが、ギャングの嫌がらせに我慢しつつ、ついに立ち上がるという任侠映画の構図でした。
 その後、1986年の映画『デス・ポイント/非情の罠』(52 Pickup)はジョン・フランケンハイマ―監督、ロイ・シャイだー、アン・マーグレット主演で面白く見ました。後から翻訳『五万二千ドルの罠』を読んで、デトロイトを舞台とした、決して善人とも言えない主人公と犯罪者たちの攻防が、気の利いたセリフで描かれて、これがいわゆる「レナード・タッチ」(の一部)なのかと納得しました。
特にさらに後から読んだ『野獣の街』(1987年、City Primeval—High Noon in Detroit, 1980)の主人公の造型がとても面白かったです。それはシリアル・キラーもしくはサイコ・キラーにおける人間の闇を描くのではなく、普通の人間から少し(大きく?)道を踏み外した悪人の怖さが描かれる。けっこう頭脳的でもある悪党の、激情と冷静さのうまい混ぜ方も含めて。そして副主人公の刑事が、ヒスパニック系で、ハンサムなのだけれど、服装の趣味が古臭く、順法精神にとらわれているようで、ラストで主人公と決闘のような対決を強要して殺してしまう。その説明的な言葉や描写もなく、ある種オープン・エンディングのようなカッコよさと、すっきりしない、その両方がポストモダン的にも見えます。